(1)2016年は元日から釣り場に居た。

元日にふさわしい雲一つない日本晴れである。目の前には、桜島をバックに中国の大型観光客船が停泊し、正月らしい邦楽や歓迎の音楽が繰り返し流されている。普段は、遠投、爆弾、フカセ等のクロ釣りや、エギング、ルアーなどでにぎわう堤防である。しかも日差しはぽかぽか暖かく、ベタ凪ぎである。にもかかわらず、クロ釣りは自分ひとりだけだった。元日に魚釣りするのは生まれて初めてで、何となく罰当たりな気がして後ろめたさはあったのだが、来て見てびっくり、案の定恥ずかしいほど一人っきりだった。しかし天気と大型客船は、演出的には最高で次々と見物人が訪れ記念写真を撮っていた。家族を大事にしない、よほどの暇人と思われたに違いない。例年、元日の夜は兄弟家族が実家に集まることになっているが、いつも弟が買ってくる刺身を、クロを釣ってくるから要らないと言い切ってのことだった。

 

4時間程度の釣果は、足裏以上2枚、手のひら3枚。いつものように爆釣したのである。母は、鱗を取っても、内臓を取り除いても跳ねるクロの生命力に参っていた。大皿に盛った皮を炙ったクロの刺身は、以外にみんなに好評で一切れも残らなかった。

 

 さて私のクロ釣りは、小学生の低学年のとき、親父との串木野への釣行から始まる。当時は、今ではごく普通になった配合撒餌や、付けエサのオキアミなどは無く、難儀なことに前もって川でモエビを大量に獲り生かしておき、それを撒餌と付け餌にした。長崎鼻公園の岩場の海面がすぐそこにある足元で、足裏サイズが入食いだったことを覚えている。その頃のエサ取りは、もっぱらコバルトブルーという熱帯魚だった。今の餌取りといえば、金魚(念仏鯛)だが、当時はまったく見かけることはなかった。

 

大人になってからも一時、クロ釣りにはまっていたこともあったが、釣果はほとんどボウズだった。

 

つまり、初めてクロを釣った串木野の時以来、爆弾、遠投カゴ、固定、半遊動、全遊動、水中ウキ、野間や佐多岬の瀬渡し、開聞岳、頴娃、内之浦の地磯、瀬々串港などいろいろ試したが、足裏サイズを超えるクロが釣れたことは無かったのである。

 

 しばらく間が開いたが、昨年2015年9月に突然瀬々串港でクロ釣りを再開した。が相変わらず大物の釣果は得られなかった。周りのベテランのおじさんは大物を1、2枚は釣って帰るのにである。悔しくても、教えを乞う謙虚さのない自分は、仕掛け、撒餌、付け餌、タナ取りなどを、遠くから眺めて参考にするしかなかった。試行錯誤したが、なかなか足裏サイズは掛からなかった。それでも数打ちゃあたるで、まぐれで30cmオーバーを1匹ゲットしたことがあった。常連のおじさん達が引き揚げた後、自分の撒餌にクロが集中したのかもしれないし、おそらくたまたま撒餌の打ち方が良かったのかもしれない。その後の釣行も、杓で約25m先の円錐ウキの手前に、ピンポイントに撒餌を打つことに集中したが、ノーコンは克服できるはずもなく、釣れないまま遂に、杓を使って餌を撒くことができないほど肩を壊してしまったのである。実を言うと、10年ほど前から始めたプール通いで、欲を出しバタフライに挑戦して、まず右肩、次いで左肩と痛めていたことが大きかった。ちなみに私は、左利きです。

 

 

斯くして本題の、「杓で撒餌を打てないクロ釣りおじさん」の研究(自慢話)が始まるのである。